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職業講話

自分の信念を曲げることなく、どんなに高い壁が目の前に現れても、そこから逃げずに向き合ってきたからこそ、ここまで成長することができたと思います

今のお仕事をするようになった経緯を教えてください

大学に入学するために地元をはなれて、上京しました。大学卒業後は神奈川県にある地ビール会社で製造から在庫の管理、そして営業までの業務を任されていました。しかし30歳を手前にして「このままでいいのか?」、と自分自身に疑問を持つようになり、縁があって妻も高知県の出身でしたので、一念発起して高知に戻ることを決意しました。その頃の丸共醤油は、15年ほど前より義父が引き継ぎ何とかやっておりましたが、本業もあり片手間となっておりました。いつ廃業するかわからない中、常連のお客様や地域の人々から「やめないでほしい」「醤油の味が忘れられん」、という多くの声が挙がってきたので、夫婦で店を盛りたてていこう、ということになり現在の仕事をしています。

高知に戻ってきて、どんな心境でしたか?

正直、戻ってきてからの2年間ぐらいは関東に戻りたいという気持ちが強かったです。いま振返ってみると、精神的にも体力的にも辛い時期だったので、「都会に戻りたいけど、ここ須崎でやっていくのだと決めたから負けたくない」、と自分自身に言い聞かせていたかもしれません。

どんな苦労があったのですか?

勝手に私が抱いていただけですが、理想とかけ離れていたことです。良い意味でも悪い意味でも、その会社の仕事のやり方や考え方があり、理解に苦しむ場面が何度かありました。そうなると相手の悪いところばかりが見えるようになり、批判的なことばかり考えるようになっていました。また自分と同じ年代の人をライバルとして意識し過ぎて、常に自分と相手を比較して、無いものねだりをしていました。

どうやって困難を乗り越えたのですか?

働くようになってから2年ぐらい経った時に、少しずつ売上が下がってきていたのですが、ふと深呼吸して考えてみると、売上を優先して従業員の人たちに無理なことを押しつけている自分がいることに気づきました。高知県に帰ってきた理由は、たしかに丸共醤油を継ぐということでしたが、それ以上に都会での希薄な人間関係が嫌になって、もっと優しさと温かさのある人との繋がりや助け合いを大事にしたい、ということでした。しかし実際にやっていたことは、売上を重視するばかりで、人間関係をないがしろにしていたのです。
これがきっかけとなって、売上のための会議や新しいお客様の開拓をすべて止めました。そして、仕事の意味、マルキョーの意義を真剣に考えた時、今までスポットを当てていなかったスタッフの行動が光って見えたのです。
そうなると私のやるべき事がはっきり見えてきました。他のどんな事よりも楽しい会社づくり、人との触れ合いを大切にするお店づくりを、軸をぶらすことなく進めると迷いなく決意することができました。結局のところ、壁を乗り越えられたのは周りの環境が変わったとか、何かを身につけたということではなく、自分を変えることができた(物事の捉え方が変わった)結果だと思っています。

学生達に伝えたいメッセージは何ですか?

ずばり、人は変わるということです。私は大学に入るために2回浪人して、卒業するまでに1回留年をしました。その頃の自分は、やりたい事も見つからず、1日を漠然と過ごすことを繰り返していましたので、いまの姿をまったく想像できなかったと思います。しかし自分の信念を曲げることなく、どんなに高い壁が目の前に現れても、そこから逃げずに向き合ってきたからこそ、ここまで成長することができたと思います。 いま振り返ってみると、私の原点は高校にあるような気がします。高校生の時はたくさん先生を困らせるような悪いことをして停学になったり、成績は下から数えた方が早いほうだったりしました。しかしそんな時に、いつも厳しく指導する先生がいて、大嫌いだったのですが、卒業式にひと言「おめでとう!」と心を込めて言葉をくれました。この瞬間に、怒られたり、叱られたりしたときには感じなかったのですが、先生が本氣で自分に向き合ってくれていたのだ、と実感しました。そして、素直に感謝することができました。
最後に言いたいことは、必ず自分の事を見てくれていたり、理解してくれる人がいるという事です。ですので、感じたこと、想ったことがあったら、感情を出して相手に自分のこと伝えてほしいということです。おもいっきりやったら、必ず誰かが受け止めてくれるし、誰かの役に立っています。このような体験を何度もしていくことで、磨かれていくと思うのです。

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